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「発達障害」への理解を深める
発達デコボコを探ろう!

元・岐阜市立島小学校主幹教諭
   神山 忠
岐阜県PTA新聞より より
写真はイメージ(本文とは関係ありません)

 みなさんは「発達障害」という言葉をどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。「発達障害」の認識が進んできている今、もう一歩踏み出せるような情報や視点を6回シリーズで発信させていただきます。
 1回目は、発達障害と言っても二人として同じ状態の子たちはいないと思います。また、診断名も自閉スペクトラム症、注意欠如多動症、限局性学習症というように「障害」という文字がつかない診断名も多く見るようになっています。また、発達障害は発達の障害なので、標準的な発達から一定以上離れた状態にあるということでしょう。
近年、発達障害の子たちが多くなっているといわれますが、それは「空気を読む」「集中する」「文字を処理する」などの標準的水準が高くなったり、子どもたちに合っていない量や正確さや速さを求められたりしてきていることを示唆しているのでしょう。
 つまり、標準的な発達から外れられる許容量が、より狭くなる傾向にあるということでしょう。それにより、少しでも発達にデコボコがあると、生きづらさに直結し、困り感が顕著化し、結果として増加傾向として捉えられているのではないでしょうか。
 発達段階において、誰しも発達のデコボコさが見られても自然なことだと思います。仮にデコボコさがあっても、そのデコの部分で集団に貢献したり共生したりすることは可能だと思います。「出っ張ったところは削って、足りないところは埋める指導」は本人も周囲も苦しいと思います。
 「障害は、理解と支援さえあれば個性といえる社会。」そんな社会に向かっていけるように東海テレビと5分間の啓発ビデオを作りました。後半のラップを噛みしめて聞いてもらえると嬉しいです。
Web検索キーワード「東海テレビ 見えない障害と生きる」または、次のQRコードで見られます。

 ビル・ゲイツさん、スティーブ・ジョブズさんは、IT業界の革命者です。ウサイン・ボルトさん、マイケル・フェルプスさんは、世界記録を何度も塗り替えたスポーツ選手です。トム・クルーズさん、スティーヴン・スピルバーグさんは、映画界に欠かせない存在です。これらの有名人に共通しているのは、発達障害であることを告白していることです。つまり、発達デコボコのデコなところを生かして社会貢献しているということです。
 発達障害の方がもつ特に長けた能力を、サバン症候群とかギフテッドとか2Eといわれます。かつてイギリスで「あのすごい能力の人たち、コミュニケーションを中心とした社会性を身につけられたらもっと豊かな人生が送れるだろう。」と考え、そうした人たちを集めて訓練したそうです。すると、ある程度の社会性は身につけられたものの、見事に長けていた能力を失う結果となってしまいました。
 つまり、デコボコのボコに着目しすぎて周囲がかかわると、得意なデコのところを伸ばせなくなるだけでなく潰してしまうということです。周囲は決してその意識はなくとも、今の社会や学校は、目指すべきはバランスの良い発達が当たり前になり過ぎ、その分、発達デコボコの子がより顕著化してしまっているのかも知れません。
毎年12月3日から12月9日までの間を障害者週間と法律で定められています。その趣旨は、『みんなが主体的に「もちつもたれつ、できることをもち合って持続可能な共生社会の実現。」「障害は理解と支援さえあれば個性となりうる社会。」の一員としての心の身だしなみの向上』です。正しい理解が心の身だしなみの第一歩です。そのために周囲の方と当たり前と考えていることには、疑問の余地はないのか考える機会となる障害者週間にしたいと思っています。
「内閣府障害者週間」で検索していただくと児童生徒のポスターや作文等が見られます。見るだけでもいろいろ感じ・考える機会となると思います。

 師走になるとよくいただく相談として「入試での配慮をお願いしたいのですが…」「入学前に発達障害であることを伝えても不利益になりませんか?」「今の配慮を次の所でもお願いしても大丈夫ですか?」などがあります。
 大学入試センター試験では、配慮申請をすることで当たり前に合理的配慮が得られます。具体的には、別室受験・時間延長・問題用紙や解答用紙の拡大など困難さに応じた配慮が得られます。
 これに追いつくように高校入試でも個別に丁寧に対応する方向にあります。岐阜県内でも、タブレット受験や別室受験の配慮を得て受験した例があります。
 このように時代は、発達障害があっても、理解と配慮が得られ、差別や排除されない方向にあります。
 しかし、小中学校での配慮には、まだタイムラグがあるように感じています。「そんな配慮をしたら伸びしろや可能性をも奪ってしまう」「そんな特別な扱いは不平等になる」「社会に出たらそんな配慮はしてもらえない」こんな言葉も聞かれます。
 配慮に対して学校側でブレーキをかけているケースと、本人やご家族側でブレーキをかけているケースがあります。これを理解が進んでいないとか、障害受容ができていないと安易に非難してはいけません。なぜなら日本の過去には、障害者に対する誤った認識や政策があったからです。しかし既にそれらの過ちを政府は認め、誤った政策や法律は廃止され、新たに適切な法整備を進めています。
 こうした歴史的経緯も乗り越え、新法の理念の1つである一人一人の「心のバリアフリー」が進んでほしいと願っています。生産性や「できないこと」に注目するのではなく「できる」に着目し、一人一人が無理のない配慮をし合う。その輪が広がることで心のバリアフリーが広がるのでしょう。
 自分の「心のバリアフリー度は?」と、ご自身で考えるだけでなく、ご家族で話題にされるとオリンピックだけでなくパラリンピックも楽しみに感じながら新年を迎えられるかも知れませんね。
(「できる」に着目して次の動画を見ると面白いと思います。)

4

 ウルトラCと聞いてピンとくる方は少ないかもしれません。これは前回の東京オリンピック体操競技で、日本代表が金メダルを獲得した時の技の難易度につけられたネーミングです。
 難易度Cの技、今ではジュニアの大会でも当たり前に見るようになりました。そして、トップレベルの大会では、難易度Jまで見られるようになってきました。人間の進化や可能性に対する期待感と、とめどなく成長志向で良いのかという不安感が交錯するのは私だけでしょうか?
 過度に進化や発展に価値を見出すと「これくらいできて当然」と見られることにつながります。これはつらいですよね。ゆっくりな人がいるから速い人がいるのです。その状況で、ゆっくりな人がいづらくするとどうなるでしょう?異質な人や少数派を排除することは、多数派には一瞬心地よい環境になるかもしれません。しかしその環境は、速く走れる人でも速度を落とせなくなり、立ち止まることなど許されない環境になる気がします。
 発達デコボコがある子どもたち、できる・できないのアンバランスさをもっています。それが原因で誤解され、叱責されることも少なくありません。しかし、その子個人を見てみると、その子のもっている成長曲線で確実に変容しています。大切なのは、変に歪が生じたり積み残し(学び残し)が生じたりしない関わりだと思います。そのためには過度な成長戦略やできて当たり前志向に陥らないことです。(運動会の組体操などにこの思考が働いた結果、全国各地で子どもたちが怪我をする事態に陥ったのかもしれません。)
 ゆっくりな人を排除しないことを基盤にすれば、どの子も安心・安全な環境に近づけると思います。それは発達デコボコがある子たちにとっても、多くの子たちと共に成長できる環境になります。
 個々の成長に気づき、認められる社会。つまり、金銀銅などのメダルだけに目を向けるだけでなく、個々の選手やそれを支えている人たちの歩みに目を向けられる社会となるよう願っています。

5

 赤ちゃんは、身を守るために感覚を非常に発達させます。そして少しでも不快と感じたら泣くことで解消しようとします。その状態が長く続くと、必要以上に脳に不快指令が届くので「パンクしてしまう~」と本能で感覚の刈り取り機能が働きます。
 その感覚の刈り取り作業の過程で、刈り残しや刈りムラが生じると過敏や鈍麻というデコボコに見られます。
 デコボコなく刈り取れた子たちを定型発達というならば、その子たちは学力を高めることでIQ(知能指数)やEQ(感情指数)が相関して伸ばせます。「こんな勉強したって何に役に立つのだろう?」誰もが感じた疑問でしょう。でも実は、その過程で非認知能力が高められていたのです。(非認知能力=自尊心、自制心、自立心、共感性、協調性、社交性、道徳性など)
 しかし時代の流れで環境が変わり、生活経験が乏しくなっている現代では、学力を高めることと各指数が高まることの相関にずれが生じてきています。ましてや定型発達でない子どもたちには、その相関関係はあまり見られないのです。
 このことを理解しないで無理やり学力向上に取り組むと、自己肯定感を失ったり、心の健康やしなやかさを害してしまったりするのです。
 iPS細胞で証明されたように、1つの細胞であってもいろいろな臓器に育つ可能性があります。それは、細胞内に様々なスイッチがあり、そのスイッチがいつ入るか、どの順番で入ったり切れたりするかで何の臓器や器官になるかが決まってくるのです。これと同じように、子どもたちもどの年齢で、どんな環境で、どんな刺激を、どの順番で受けるかが重要になってきます。
 支援者は、個々の子どもたちが置かれている環境に合わせた接し方を、常に模索していく必要があると思っています。その支援が、発達障害の子や学校に居場所を感じられない子の顕著化や増加にブレーキがかけられる鍵だと思っています。
(QRコードで動画「発達凸凹の「感覚過敏」を探検する絵本」が見られます。)

6

 ここ数年、食物アレルギーのお子さんも増えてきています。一説には、きれいな環境下で育ったために必要な免疫機能を育む機会を逸した説があります。(半面。環境ホルモン、マイクロプラスチック等の環境汚染説もあります。)
 HSCと言う、感覚過敏なお子さんも多くなっています。これもエアコン、おむつ、肌着などの進化で不快でない環境下で育ったために、日常的な刺激に対しての抵抗力を備えられなかった説があります。
 また、愛着形成に課題を抱えているお子さんも増加傾向にあります。必要な時期に必要な関わりを必要なだけ経験できないことが原因とされています。そして、粉ミルクの利用頻度が高くなり、親側の愛情をつかさどるオキシトシンの分泌が促されにくいことも原因とされています。
 一昔前。おむつは、さらしで作られ排便したら不快と感じ。離乳食は、大人と同じものを大人が口の中で噛み砕き与え。授乳も、抱っこしながら母乳を吸う。これらには手間や雑菌混入、ストレスが伴います。しかし、これらの営みで、快・不快の感覚を得て喜怒哀楽の基盤ができたり、免疫力や耐性力を高めたり、目と目を合わせておっぱいを吸う過程で表情筋が鍛えられたりしていました。それらがより強い親子関係、そして愛着形成に役立っていたと言われています。
 公園の遊具に目を向けても、安全重視で、ダイナミックな運動を促進する遊具は撤去されてきています。これまで吊り遊具や回転遊具で、感覚の統合や情緒の安定を図ってきた子どもたちは、困難さを覚えるようになってきています。
 このように人為的に整備され、良かれと思ってやってきたことの弊害が、子どもたちの自然な成長の妨げとなっていると考えてみてはどうでしょう。確かに検査や診断により病名や障害名がつくことは、適した支援につなげられることになります。しかし、そのお子さんの名前よりも病名や障害名がクローズアップされてしまうことは悲しいです。
 発達デコボコの正体は、自然にも人類にも優しく持続可能な一人一人の生き方を考えるための警鐘と捉えたいです。子どもたちが身をもって「人が人らしく生きられる共生社会に向かって!」と語りかけてくれている気がしてなりません。
【掲載終了にあたって】
 3月号をもって、6回にわたった掲載を終了しますが、今回の掲載をきっかけとして、私たち自身が、「障がい」への理解を深めることで、障がいのある子たちにとって、一層頼りになる存在となることを願います。

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